さようなら、マルコ君。
- yukimaga
- 11月16日
- 読了時間: 2分
最初は、道央の納会に大阪からスーツケースを持ったまま参加してくれたなぁ。
居酒屋の客メンバーが、中心にできたという、01年、SATTの創設時のメンバーで
05年以降は転勤先の大坂から、審判講習にも2年ごとに飛んできてくれて驚かされた。
大阪在住の時は、SATTの系譜を思わせる 雪合戦チーム「NANIWAさっと」を率いて
小代の兵庫大会や、今は無くなった 加西の「真夏の雪合戦大会」に参加し
西日本のチームとも交流を持っていると雪合戦の情報も送ってくれた。

上の写真は、早稲田雪合戦の会が、2009年9月に平塚湘南ビーチで開催した 東京六大学ビーチ雪合戦の時に、当時の全国の雪合戦フリークが、集合して大会を支援したときの一枚。その時は北海道に戻っていて札幌から参加。
その後、再び大阪勤務となり、確か福岡にも行っていたと思う。
下の写真は、17年に編集部で呼びかけた「夏は島根にいこう!」に賛同して
当然、全国から駆け付けてくれたメンバーの一人だった。
2枚の写真を見るとわかると思うけど、なんとなく立ち位置は横の隅のほうにいる。
いつも温厚な語り口で、穏やかなイメージが強いが お酒好き。
審判サミット、最北の稚内と、なにかあると駆けつけてくれて
雪合戦にいつも、そっと寄り添っていてくれた雪合戦人だった。
NANIWAさっとの昭和新山出場は17年の29回大会が最後になっていたけど、
日連の委員として情報を共有してくれて、選手会設立の発起人にもなってくれた。 仕事が忙しいことと、コロナ禍のブランクで大会からも離れていたのが気がかりだったけど
昨年の12月、大阪を引き払って札幌に戻ったと、ひさしぶりに審判講習で再会できたのが
ついこの間のことで、2級審判用に撮った写真は、やっぱり少し細くなってしまっていた。
10月中旬、近況を尋ねたLINEに、体調を崩しているとの返信があり、
先週、福山に伺った際にも、話がでて気にはなっていたけど・・・
昨日、21時頃、NANIWAさっとのメンバーからの一報を
瀬戸内のメンバーが知らせてくれて、亡くなられたことを聞いた。
いつ亡くなったかも 詳細が分からないまま、
朝になって、SATTの前監督から電話で今日、葬儀があることを聞き、
最後、なんとか御見送りすることができた。
心残りなのは、LINEだけで話せなかったこと。
雪合戦と関わったから 出会えた人であり
これから生涯雪合戦をめざせる友人でした。
52歳は 早すぎるよ。
合掌




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